納豆に「からし」がついてなくて、ホッとした

納豆に「からし」がついてなくて、ホッとした

 

納豆のパックには必ず、

からしとだし醬油がついてきますよね

 

 

でも、この「からしとだし醬油」がついてくる

「当たり前」が

わたしには少し苦痛だったんです

 

 

「納豆にからし不要派」のわたしには

納豆を食べるときに、

必ずあるジレンマを抱えることになります

 

 

それは、おいしく納豆を食べたかったら

「からし」を捨てなきゃいけないこと

 

 

「からし」入りで納豆を食べれば問題ないですが、

食べたら食べたで

「からしを入れなきゃ、もっと美味しかったのに・・・」と

「納豆にからし不要派」は別の問題が発生します

 

 

だから、からしを渋々捨てることになるのですが

(もったいない!と、からしを冷蔵庫のサイドポケットに蓄えたこともありますが、結局処分しました)

 

 

毎回、欲しくもなかった「からし」を

チヨダ)特製練からし 2g×100個

 

清潔な食べ物を捨てる罪悪感を感じてました

 

 

 

 

「納豆にはからし派」は何の問題もありません

 

 

でも、わたしのように

「納豆にからし不要派」は

 

 

日本人特有の「もったいない」精神が発動して、

「じぶんの嗜好で、まだ食べられる食べ物を捨ててもいいのか?」

って声があたまの中に聞こえてきます

 

 

 

 

だから、納豆パックに「からし」が入っていないものを見つけた時に、

「そうそう、これだよ!」と嬉しくなりました

 

 

 

そう、欲しい人だけにあればいい

 

 

寿司のわさびも、

揚げ物のソースも、

ポテトフライのケチャップも

コーヒーの砂糖やガムシロップも

 

欲しい人だけでいい

 

なんならサラダのドレッシングみたいに

別売りでもいい

 

 

「不要なら捨てたらいい」っていうのは

一見親切なようで、無責任でもあります

 

 

 

「押し付けられた過剰なサービス」を拒否する労力は

意外にも大きいです

 

 

 

そう、よく似たものに

「親戚からのおさがり」があります

 

「気に入らなかったら捨てちゃってもいいから!」と

自分が捨てにくい「思い出の品」を他人に捨てさせる、あの行為です

 

 

これも一見、親切なようですが

有無を言わせぬ押し付け感がそっくりです

 

(破れた絵本とか、他人から見たらゴミみたいなものも多いのです)

 

 

だれだって、他人からもらった

「まだ使える」モノを捨てる判断なんて

したくないじゃないですか

 

 

 

だから、最近見かける「からし」抜きの納豆は

わたしたち「納豆にからし不要派」にとって

とても優しく、ありがたいなと思ったのです

 

 

からし抜きの納豆パックを販売してくれたメーカーさん、

「納豆にからし不要派」を代表して言いたいです

 

「からし」をつけないでくれて、ありがとう!!

 

 

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